創作の話が本当にどこに行ってもできなくなって困っている
これまでに創作の話もっと聞かせてと言った相手は99割離れていったしそうやって人の話を聞き出して見えないところで痛いとかどうとか言っていた人間も知っている
いくらアカウント分けて気になる人フォロしてねみたいにしたところで悪意的であるかを判別することは不可能に等しい
一滴でも毒が混じっている可能性のある水は飲むことができない
人間不信ですとかいうとそういうのは中学生で卒業したら?と思われるだろうがそもそも自分も他人も100%で信じられるものではない(これもまた中二病乙とされる発言だろう)
意図的でなくても約束を守らないとか結果的に嘘になったなんていくらでもあるんだから
それとは別で何度アカウントを作ってフォロワーを選別したとしても自分の創作の世界観とかCPとかの話をしはじめるとその空気に耐えきれなくなる
周りは自分と誰かの創作を話しているのに一人だけ自分の話を延々としている
誰も聞きたいなんて言ってないのに視界に入って邪魔だろうな連投してうざいだろうなという気持ちのほうが語ろうかなを一瞬にして上回る
何気ない一言でその空間まるごと静まり返ったみたいな空気感を覚えてとにかく嫌になる
そういうふうになると見たくもないのになぜフォローされたのか、誰も望んじゃいないのになぜ話したのかと自分にも周りにもイライラしてしまう
だから結局話せなくなる
もっと前にもどこかで書いた気もするが、本筋のストーリーがないから創作の話をしようもしてもうまくいかないんだと昔は思っていた
でもそうではなかった
ストーリーができててここに載せてても追ってる人なんて無に限りなく等しいんだから他人から見たらあってもなくても一緒で、読んでる前提で話してるバカバカしさに耐えきれなくなるだけでしかない
みんな見てるような前提で話すことの思い上がりの甚だしさにバカバカしくなるという意味で
SNSじゃなくサイトなら好きにできると思っていたがそれも違った
誰も見てないのに書いてておかしいですねプークスクスとか見た上でどこかでバカにして楽しんでるんじゃないかとかネットに放流している以上何一つ安全なものはない
どうでもいい日記のようなものは書けるのになぜ創作の話はできないのか
日記はほとんどの人間はいろいろな生活をしていて書く可能性もあるが、自分の創作の話は自分しかしないしそれは自分の脳内にしかないものを開示するということなので「ないもの」の話をすることになる
「ないもの」の話をするということは1ミリたりとも共感はなく、この人は頭がおかしいんだなとかこいつフカシだなといった目線に晒されることになる
それらを当然のこととして享受しなければならない、「ないもの」は誰にも共有できないんだから
創作民同士であれば一次創作は共有の話題になり得ると以前は思っていたがそんなことはない
結局誰かと一緒にキャラを動かす創作をしている人の割合はかなりのもので、そういう方々には自分の脳内にしかない自分しか知らないという感覚は共有されるものではない
かといって単独で創作している方にもそれぞれの創作が当然あってそれを話しても共通の話題にはならない
創作自体は共通の話題にならない
共通の話題になるのはそれぞれの嗜好の話でしかない
それが悪いことであるとは思わない、しかし同時にそれはいつ互いの地雷を踏むか分からず配慮配慮の思考に陥ったが最後自分の創作はおろか、性癖の話すらできなくなる
人がいる場所はもちろん、誰もいない場所でも話せなくなる
なぜなら誰もいないのになんか言ってるおかしな人がいる、として監視されてるから
どこにいても行動を監視されていて少しでもおかしな弘道をしていると笑われている
笑われているのが恥ずかしいとかよりも腹が立つ、見つけ次第八つ裂きにしたい
そうやってイライラすると何も手につかなくなる
だからメモ帳に設定などをメモするのもできないときもある
外野は他責思考だ自己愛だなんだと本当に悪いのはお前だとして責めるんだろうけど少なくとも自分の主観ではこのようになっているのは事実である
まあ結局、小学生の頃はネトゲで知らない相手ともフレンドになってギルドにも入れてもらえたのがいつの間にか常識的な振る舞いをしなきゃと思って誰ともパーティ組めずソロプレイしかできなくなった頃と一緒だろうな
他人は友好的な存在じゃなくて自分は人と話したりしないほうが正しいって理解しただけ
老いただけでしかない
そうやって人生ってどんどんつまんなくなるんだよなおしまい